1927年(昭和2年)に結成された「日本インターナショナル建築会」は、
「日本でモダニズムを主張した最初の建築家グループ」です。
彼らの思想は国際的にみても、
当時最もラディカル(急進的)に「機能主義」、「合理主義」を追求するものでした。
そしてその目的は、
「西欧先進地域での動きを模倣したとか、その下部組織としてつくられたのではない」、
むしろ、
「日本を中心にして全世界に向けて呼びかけ」んとする、
「文字通り国際的規模の運動を目ざすもの」となっていました。
そんな風に聞くと、
あまりにも気宇壮大で、
ちょっと非現実的な感じもしてしまいそうです。
しかし彼らは実際に、
結成時に発表された「宣言」と「綱領」を、
エスペラントや外国語にも翻訳することによって、
そうした構想を世界へ向けて発信していました。
その結果、
タウト、メンデルゾーン、リートフェルト、ホフマン、グロピウスなど、
当時の世界中の一流建築家たちが提携することを約束し、
錚々たるメンバーが外国会員として名を連ねることになっていったといいます。
さらに彼らは、
徹底した「機能主義」、「合理主義」を追求する立場から、
「アール・ヌーボー、ゼセッション(分離派)、表現派、アメリカニズムなど」、
当時の世界の建築界の「あらゆる動きに徹底的に批判を加え」、
巨匠ル・コルビュジェについても、
「氏の作品は建築界に美しい形を教えてくれたにとどまる」と切り捨てたといいます。
そんな当時世界中で最も過激な「機能主義者」の集団、
「日本インターナショナル建築会」の中心的な人物が、
建築家、本野精吾でした。
彼が「日本インターナショナル建築会」を結成する少し前、
1924年(大正13年)に完成させたという自邸。
なんの飾りもない、
あまりにも素っ気ないコンクリートブロックの箱。
外観だけではなく、
室内もコンクリートブロックがむき出しになっています。
飾りなどの不要なものはすべて排除し、
理屈に合ったものだけで建築をつくりあげようとする、
徹底した「合理主義」的な思想から、
このような仕上がりになったのではないかと思われます。
今となってみると、
「コンクリート打ち放しの美学」を
数十年も先取りするものだったと言えるのかもしれません。
間取りの方は、
コンクリートブロックで出来たボリュームが、
水平方向に連なっていくような感じで、
流れるように連続する空間になっています。
その空間には、
独特の風格のようなものが備わっているように思いましたが、
その一方で、実際にこの間取りが、
彼が主張するように本当に「機能」的なものなのかは、
現代の私たちの目からは、
もう一つ、よくわからないような気もしました。
100年近い時間が経過する中で、
人の暮らし方は大きく変わってしまいました。
そのため、住宅に求められる「機能」の方も、
当時とは全然違うものになっているのかもしれません。
ということになると、
彼らがテーマとし、熱烈に追求しようとした「機能」や「合理」というものは、
所詮、時代とともに移り変わってしまうようなものでしかなかった、
ということになるのでしょうか…。
ただ、
たとえテーマそれ自体が時間の経過によって古びたものになってしまったとしても、
志のようなものは、
時間を超えてくるということもあるようです。
結局そうしたものこそが、
時間を経た後の空間に迫力を与えることになるのかもしれません。
時代をはるかに先取りした「機能」を満たすための箱は、
時間との競争をやめても、
別の多くのものを満たしているように思いました。
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posted by k_nakama at 19:14|
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